Monday, November 21, 2011

ポップカルチャーとは日本製のもの?

カイル・ボンド
大橋先生
11月13日2011年

ポップカルチャーとは日本製のもの?

先週の授業で私たちが読んだ文化発信に関する記事について発表したいと思います。私が知っている限り、ポップカルチャーの発信への見方が二つあります。ひとつはポップカルチャーが日本中心的な現象だと評価される見方です。その見方によるとアジア諸国をあげてポップカルチャーとは基本的に日本が中心となり、発信する事で広がってきたものだという解釈です。もうひとつはポップカルチャーとは中心がないものだという見方です。そしてアジアの諸都市の若者の文化の中で互いに発生していった現象だという見方です。そうだとするとポップカルチャーとは国際的に、あるいは国境を超えたアジア諸国全体の若者がアニメや漫画やポップ音楽のような文化を共有しているものだということになります。どちらの方が事実か議論していきたい思います。
まず、最初の考え方を見ていきましょう。一番めに読んだ「日本が自覚していない力」という記事と「アニメが世界を駆けめぐる」というビデオはポップカルチャーとは、日本製のものだと思い込んでいる考え方を代表しているようです。その「アニメが世界を駆けめぐる」というビデオでは浜野先生という語り手によるとアニメなどが日本の救世主となる過大に期待されているそうです。彼は他の国のポップカルチャーの貢献について一言も述べていませんでした。しかし、韓国の脅威については激しく危機感を示していた。このような意見は保守的なのではないかとおもいまして、「日本が世界で闊歩している」という表現と「国内の産業を支援したり、保護したりしよう」と呼びかけるのは自己中心的なのでなないか。次に「ソフトパワー」について解説する記事では日本が知的財産権に詳しい弁護士を人材育成できるように支援すべきだという結論が出た。この結論が示唆することは何でしょうか。他国に日本のポップカルチャーの利益を盗まれているという意味なのではないか。つまり、このようなポップカルチャーは日本が本当に所有しているのではないか。
けれども、「ポップカルチャーはアジア統合のエンジンになるか」という記事の意見は他のと明らかに違います。ポップカルチャーとは日本製だけではないと書いてあるようです。興味深いところはアジアの諸都市の若者たちは「日本のポップカルチャーを追っているという気持ちはない」ということだ。つまり、韓国などが意図的に日本の文化をマネしていると思わないようだ。ポップカルチャーとは今日日本の文化わけではなくて、アジア地域の文化になってきた。多分もともとに韓国などが影響を受けました。しかし、現在ではポップカルチャーはアジア全体が見られ、同一性があり、差異もあり、諸都市の若者たちが国境を超えながら異文化交流を楽しんでいる。それに韓国のドラマなどは非常に日本人の価値観に影響を及ぼしていることは否定できません。
これで発表を終わります。

Monday, September 19, 2011

my living place

カイル・ボンド

平成23年9月19日月曜日

「私が住んでいるところ」

       数年前にセンターを卒業したケラブカーターという僕の先輩のお陰で、今の住んでいる片倉町駅から十五分くらい歩いて行ったところは見つかった。実はケラブ先輩は彼の先の美恵と呼ばれる大家さんに紹介をしてくれた。それに、センターを卒業したウィルソンという先のテナントはなくてはならない品物、布団や食品など、そろえて、残しておいてくれた。僕は本当にありがたいと感じている。僕は運がいいといえば運がいいが、実はアパートの状態はあまり完璧わけではない。

     取りあえず、住んでいるところは虫だらけの古いアパートのビルである。ゴキブリが食べられるクモを殺さない方がいいと言われるが、両方はたまに殺していた。ごめんなさい。それでたくさん虫がある原因は僕のせいではないかもしれない。よく掃除するきれい好きな人だから。しかし、特別なゴミの日があってから、一週間くらい生ゴミが残らなくてはならない。ところで、よく料理をする。だから、一週間の後、生ゴミの箱は満杯になる。それで最近果物のミバエがなくなりにくくなって来た。とにかく、虫のような生き物を怖がっているわけではない。つまり、大きい問題がない。だが、アパートにたくさん虫が動いている場合ではアパートがきたないみたいだ。  

     もう一つは近所である。そこは片倉町四丁目で、横浜市の郊外であったから、安全でいいが、高速道路のようなうるさい道路は東に向かう窓の外にある。それはかなり勉強を邪魔している。だが、慣れていて来て、それにたいていヘッドフォンで音楽を聞きながら、日本語を練習していた。そして寝るところの時に窓を閉めてから、蓋のようにある大きいなブランケットを窓の枠に張っていた。とにかく、その新居に落ち着いてきたと言える。

Tuesday, September 6, 2011

The Problem of Religion and Culture in Japan/ 日本での文化と宗教関係の問題

カイル・ボンド
大橋先生
2011125日月曜日
宗教、 キリスト教を反映するイメージとして日本の文化に適用する分類として

·      導入
o   日常の例
o   調査の統計
o   定期の問題
·      西洋での誕生
o   ローマ帝国
ーキリスト教が吸収される
ー宗教はキリスト教と意味する
o   16世紀の変化
ー啓蒙運動
ーポロテスタント革命
ー信頼と儀式的な活用が離れてきた
ー宗教は科学と政治から取り除く
·      要は宗教は個人的な信仰のシステム原型的な例はキリスト教だ
·      日本での誕生
o   1907 日本宗教
o   国家神道
§  宗教ではない、国体の道徳律
o   戦後の憲法
§  国家と宗教との同一性の禁止
o   定義の問題
o   文化とは

今日は「宗教」ということを特に歴史的な分類として概念として紹介したいと思いまして、そしてこの日本の「宗教」、それとも「無宗教」について話し合ってもらうつもりです。

 (次のスリード)

さて順番と方法など説明しておきたいと思います。

まず、申し訳ないんですが、クイズ番組のように発表できません。なぜかというと日本人は宗教的かどうかというような問題はひとつの正しい回答がありませんから。そのかわりに質疑応答を通じて日本人は宗教的ですか、「宗教」そのものは何ですか、歴史的に文化的にどうように「宗教」という言葉が構成してきたか、西洋ではどうか、日本ではどうかという質問の順でこの難しい「宗教」の問題においてお話したいと思います。最後にある社会学的な歴史学的な宗教の理論を提案するつもりです。

それでは想像的な話で始めましょうか。

あるまぶしく寒い日、あなたはお家に出かけます。そうしたら最寄りの駅手前で偶然に友だちに出会います。暇があるから当然「何か暖かいものコーヒーでも一緒に飲みませんか」とか言って、あなたは友だちを誘います。そのあと、喫茶店では(次のスリード)ある同級生の発表話題を思い浮かべます。「たしか日本の宗教についてだったかなあ」と考えます。運がよく友だちは日本人です。そこであなたの友だちに聞くことにします。「特別な宗教を信じているか」と質問すると、友だち不安な顔をします。「別に宗教に関心がない」といって「実はあまり宗教的ではない」などと彼女はいいます。 

皆さん、このようなご経験をしたことがありますか。

(次のスリード)

いずれにしても、2008年のNHKの世論調査によると、宗教を信仰している日本人は39%だそうです。一方、宗教を信仰していない人は49%にのぼるといいます。宗教的な日本人の割合は今では若者より高齢者、男性より女性の方が高くなっているそうです。にもかかわらず、ある人、特にキリスト教になれている西洋人は日本人、あるいは日本社会は全然宗教的ではないとよく言われる。同じくこのような人は「日本社会は心がない、意味がない」と批判し、ポップカルチャーや自殺率などを示しながら、無宗教が原因だと思い込んでいるようです。このような観点があるのは残然だと感じますが、たしかに西洋では東洋でも日本は宗教的ではないと言って、それはいやだと思い込んでいる人がいます。

例えば。。。(次のスリード)阿魔先生の本について

「皆さん議質応答します」

実際は「日本は心がない」という偏見で、日本は普遍的に宗教的でないわけではなく、むしろ日本の宗教的な歴史が複雑で、深く、幅広いと感じます。(次のスリード)

厳密に見るとこの実際を否定できないと思います。それに神仏に関係がある近代の大衆の宗教的な文化として、お正月とかお葬式とかを維持しています。無意識で日本人は様々なお祭りに参加しています。例えば、初詣の時に日本人の皆はお寺に神社にもお祈りに行ったり、お守りを買ったりします。いうまでもなく

けれども、基本的な問題はどのように宗教を定義するかによります。

歴史的にいうと「宗教」というのはキリスト教から影響をものすごく受けた分類です。事実、明治時代に「宗教」とは英語のReligionを日本語に翻訳したものです。つまり、宗教は現象ではなく、分類です。宗教は概念です。明治時代の前に「宗教」という言葉が全然ありませんでした。基にあたらしい言葉が作られたのこそ問題がありません。ただ、無意識に世界での宗教を理解しようとする学者はキリスト教を原型として使いました。結局欧米の文化に従っていた明治時代の日本人の学者は宗教という造語を作りました。そのために日本人は宗教的ではないと言うのです。日本ではキリスト教を反映する宗教はおかしいからです。この西洋の観念は信仰などを主張しています。一方、基本的に神道や仏教などは活用を主張しています。神仏の存在を信じるかどうか違いがありません。関係がありません。ですから、日本の「宗教」はキリスト教のような宗教的なものより、もっと文化であり、 共同体に参加したり、伝統を伝えたりするものではないでしょうか。

いずれにしても日本では神と仏の存在を信仰するかどうかは何の違いもありません。一方、西洋諸国では信じるかどうかが一番大切なことだと感じられるようです。日本では神様は存在があるないにかかわらず、宗教的な活動や習慣などが続いていると思います。ですから恐らく「あなたは宗教を信じるか」との質問は結局あまりよくない質問だろうと思います。むしろもっといい質問は「伝統的な活動に参加しているか。どうしてか。そういう伝統や習慣などを重んじる」というものではないでしょうか。


以上ですが、何かご質問、ご意見がありましたら、お願いいたします。

Sunday, August 14, 2011

blog from japan 2: the meaning of immersion learning

八月十四日2011年

2

so as the heat swelters the shelters, the umbrellas, hats and covers

i stand inside this tokyo outskirt apartment and contemplate the meaning of "the best kyokasho [textbook] is no kyokasho."

what if for instance a japanese language teacher brought into the classroom old japanese cellphones and taught a week's lesson using the vocab and grammar (and functions) of the cellphone device?

in fact, presently i am in the situation of learning the "text" of a japanese cellphone. it's quite the challenge actually. but of course it's more rewarding than memorizing a sheet of vocab. and in general i am finding so many words and phrases that were never taught in the classroom/textbook but i am finding frequently on and around the signs and commercials of the texts of real life tokyo. yes i have mastered super simple japanese, but how do i use a rice cooker? and how do i make a phone call or send a text on my new cellphone, which stubbornly only speaks to me in japanese?

the pretext of this text is that the world is a text, in fact, it's the best textbook one could every find for learning a foreign language -- and guess what -- it's free. Well not exactly. No time or space is free anymore it seems. getting to japan from the states will cost you at least a grand, probably more like 12 to 14 hundred. plus, to walk the heat soaked streets of japan in the pangs of summer will cost you frequent trips to the jidohanbaiki [vending machine(s)] that line every street and corner for nice petite can of ice coffee or green tea.

at any rate, i am doing my best to apply the theory "the best textbook is no textbook." in order words, i study my coffee can and my receipt for new vocab words and its logic; i argue with the rice cooker over the meaning of chinese characters. btw, 炊飯 that means cook the rice, as opposed to massage the rice, whisper sweet nothings to the rice, and a dozen other amazing features your average japanese rice cooker will provide. oh, and when in the produce and dairy sections of your local supa [super market] you can look to decipher the origin of goods. note to consumers, probably discriminate against 福島県. probably not a good thing for fukushima, but neither is ingesting radioactive elements in your body.

Wednesday, August 10, 2011

blogs from japan 1

A year in Japan

八月十日2011年

1

so....

last night Casey and Jory (bless their hearts) took me to seatac at 3:00 am or so. well, you know, as soon as a found a reasonable place to lay down and rest for an hour in the airport with my sleepsack i realized i didn't have my laptop computer. i had left it in the car. i don't know what time the kids got back to oly but i am sure it was rough night for them, especially Jory, who seemingly is carsick easy. thank you both so much. it was really helpful. well, i slept or something resembling sleep with my arms stretched out over my luggage for an hour or so, which is when the kiosks opened up around four. at which time i check my three huge bags, which when carrying around feels very unbecoming. "wow, i have so much stuff." i am supposed to be that mobile lightweight guy. anyway, lets cut to the chase: last night i "slept" like a homeless person and now i find myself a VIP in a top notch lounge, where you can make your own personal cocktails, etc., because Dad used his flier miles to buy me a ticket (thank you Dad), which was our only option for getting to Japan (Nihon) with miles. the contrast is stark. indeed, i get the feeling of a segregated america: people that are privileged liked myself and people that are busting their ass to make it. i see all the working people on the tarmac, the people that sold me the coffee and food before i found out i could be getting that stuff and more (wifi) for free and at a higher quality. so, anyway, its an awkward feeling. besides josh's fancy hat, i look like a homeless surfer, which in some respects i am. so i feel out of place i guess and i really i don't desire to be here, though i can't refuse a free lunch and maybe that is precisely the problem of privilege. still, i would rather be in the crowded, noisy, expensive, culture of people. solidarity. then again, why think dualistically? there are a lot of people in this lounge that i wouldn't peg as super rich people. maybe there are other people here who got a first class ticket with their miles. anyhow, this is my first thought before the deep plunge into japan for a year: the prime minister of england returns from vacation in tuscany to help quell violence irrupting in the inner cities of london.

we will be in touch!

PS thanks to everyone who were able to make it to my party. it was a great send off.
--
カイル。ボンド
Kyle Bond
Inter-University for Japanese Studies
Yokohama, Japan
Kanagawa Ward, Yokohama, Kanagawa Prefecture, 片倉 4-2-7


Sunday, April 17, 2011

Why Japanese and Japanese Culture?

カイル・ボンド
ワシントン大学院生
2011年3月13日日曜日
志望動機

2007年の冬、卒業生として受けさせていただいたシアトル大学での仏教についてのコースを通じて日本語と日本文化に興味を持つようになった。以降、現在と伝統的な日本哲学を専門とするジェーソン・ワースというシアトル大学の教授に指示していただいきながら、伝統的な東洋文化について個人研究を始めた。その理由で、将来アジア文化と宗教と哲学などの教授になりたいとはじめて自覚した。このような活動をする間、特に永平道元の作品に興味をもって、専門として来た。

その頃からワース先生と親しい関係を続けている。一緒にキャンパスでの座禅のサークルを構成したり、 仏教についての会議を毎年開いたりした。さらに昨年の六月に大学生のグループとして曹洞宗の歴史を見学するために日本に行った。私はそのプログラムの間に手伝いをさせていただいた。将来もし教師になったら、自分の学生たちを日本につれて行きたいと思う。

2008年の夏、ワシントン大学院に入る直前に、日本語の勉強を始めた。アジアの言語自体を学習したことがなく、とても難しかったが、ワシントン大学でその夏一年生の日本語の集中学習を終えた。その後、比較宗教プログラムに入る大学院生として、真剣に日本語の勉強を続けた。自分の研究とワシントン大学でのアルバイトをしながら、二年と三年の日本語の授業を完成した。現在、四年の授業に登録している。

大学院の二年の時に米国の政府から「Foreign Language and Area Studies Fellowship」という奨学金をいただいたので2010年の夏、早稲田大学で六週間の日本語の集中学習プログラムを行った。授業で4.0点をもらった以外に、早稲田大学のサッカーサークル活動に参加をしたり、舘野正美という日本大学の人文科学の教授と知り合ったりした。しかも藤沢市で山口家族とホームステーさせていただいた。
8月の終わりに早稲田のプログラムを終えた後、「Gods and Mountains: Icons, Temples, and Pilgrimage」という見学するコースのため、キース・タケチという教授とUWとUCLAの大学生を集めたグループに入った。京都と奈良などで三週間を過ごし、お寺において歴史、建築、図像などについて現場発表をしたり、
紀伊山脈中で参詣道と修験道の修行を見学したりした。実は四泊五日熊野古道を登り、本宮大社や那智大社を訪れた。

これらの経験が、自分と日本人、日本語、日本文化がどのように関わっているかを表している。最後に教授になるために、教えることと学習をすることを本気で行っている。これがInter-University Centerに申し込む理由である。