カイル・ボンド
平成23年9月19日月曜日
「私が住んでいるところ」
数年前にセンターを卒業したケラブカーターという僕の先輩のお陰で、今の住んでいる片倉町駅から十五分くらい歩いて行ったところは見つかった。実はケラブ先輩は彼の先の美恵と呼ばれる大家さんに紹介をしてくれた。それに、センターを卒業したウィルソンという先のテナントはなくてはならない品物、布団や食品など、そろえて、残しておいてくれた。僕は本当にありがたいと感じている。僕は運がいいといえば運がいいが、実はアパートの状態はあまり完璧わけではない。
取りあえず、住んでいるところは虫だらけの古いアパートのビルである。ゴキブリが食べられるクモを殺さない方がいいと言われるが、両方はたまに殺していた。ごめんなさい。それでたくさん虫がある原因は僕のせいではないかもしれない。よく掃除するきれい好きな人だから。しかし、特別なゴミの日があってから、一週間くらい生ゴミが残らなくてはならない。ところで、よく料理をする。だから、一週間の後、生ゴミの箱は満杯になる。それで最近果物のミバエがなくなりにくくなって来た。とにかく、虫のような生き物を怖がっているわけではない。つまり、大きい問題がない。だが、アパートにたくさん虫が動いている場合ではアパートがきたないみたいだ。
もう一つは近所である。そこは片倉町四丁目で、横浜市の郊外であったから、安全でいいが、高速道路のようなうるさい道路は東に向かう窓の外にある。それはかなり勉強を邪魔している。だが、慣れていて来て、それにたいていヘッドフォンで音楽を聞きながら、日本語を練習していた。そして寝るところの時に窓を閉めてから、蓋のようにある大きいなブランケットを窓の枠に張っていた。とにかく、その新居に落ち着いてきたと言える。
Philosophy, Religion, History, Comparative, Zen, Buddhism, Eihei Dogen, Japanese Language
Monday, September 19, 2011
Tuesday, September 6, 2011
The Problem of Religion and Culture in Japan/ 日本での文化と宗教関係の問題
カイル・ボンド
大橋先生
2011年12月5日月曜日
宗教、 キリスト教を反映するイメージとして日本の文化に適用する分類として
· 導入
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日常の例
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調査の統計
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定期の問題
· 西洋での誕生
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ローマ帝国
ーキリスト教が吸収される
ー宗教はキリスト教と意味する
ーキリスト教が吸収される
ー宗教はキリスト教と意味する
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16世紀の変化
ー啓蒙運動
ーポロテスタント革命
ー信頼と儀式的な活用が離れてきた
ー宗教は科学と政治から取り除く
ー啓蒙運動
ーポロテスタント革命
ー信頼と儀式的な活用が離れてきた
ー宗教は科学と政治から取り除く
· 要は宗教は個人的な信仰のシステム。原型的な例はキリスト教だ。
· 日本での誕生
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1907 「日本宗教」
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国家神道
§ 宗教ではない、国体の道徳律
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戦後の憲法
§ 国家と宗教との同一性の禁止
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定義の問題
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文化とは
今日は「宗教」ということを特に歴史的な分類として概念として紹介したいと思いまして、そしてこの日本の「宗教」、それとも「無宗教」について話し合ってもらうつもりです。
(次のスリード)
さて順番と方法など説明しておきたいと思います。
まず、申し訳ないんですが、クイズ番組のように発表できません。なぜかというと日本人は宗教的かどうかというような問題はひとつの正しい回答がありませんから。そのかわりに質疑応答を通じて日本人は宗教的ですか、「宗教」そのものは何ですか、歴史的に文化的にどうように「宗教」という言葉が構成してきたか、西洋ではどうか、日本ではどうかという質問の順でこの難しい「宗教」の問題においてお話したいと思います。最後にある社会学的な歴史学的な宗教の理論を提案するつもりです。
それでは想像的な話で始めましょうか。
あるまぶしく寒い日、あなたはお家に出かけます。そうしたら最寄りの駅手前で偶然に友だちに出会います。暇があるから当然「何か暖かいものコーヒーでも一緒に飲みませんか」とか言って、あなたは友だちを誘います。そのあと、喫茶店では(次のスリード)ある同級生の発表話題を思い浮かべます。「たしか日本の宗教についてだったかなあ」と考えます。運がよく友だちは日本人です。そこであなたの友だちに聞くことにします。「特別な宗教を信じているか」と質問すると、友だちが不安な顔をします。「別に宗教に関心がない」といって「実はあまり宗教的ではない」などと彼女はいいます。
皆さん、このようなご経験をしたことがありますか。
(次のスリード)
いずれにしても、2008年のNHKの世論調査によると、宗教を信仰している日本人は39%だそうです。一方、宗教を信仰していない人は49%にのぼるといいます。宗教的な日本人の割合は今では若者より高齢者、男性より女性の方が高くなっているそうです。にもかかわらず、ある人、特にキリスト教になれている西洋人は日本人、あるいは日本社会は全然宗教的ではないとよく言われる。同じくこのような人は「日本社会は心がない、意味がない」と批判し、ポップカルチャーや自殺率などを示しながら、無宗教が原因だと思い込んでいるようです。このような観点があるのは残然だと感じますが、たしかに西洋では東洋でも日本は宗教的ではないと言って、それはいやだと思い込んでいる人がいます。
例えば。。。(次のスリード)阿魔先生の本について
「皆さん議質応答します」
実際は「日本は心がない」という偏見で、日本は普遍的に宗教的でないわけではなく、むしろ日本の宗教的な歴史が複雑で、深く、幅広いと感じます。(次のスリード)
厳密に見るとこの実際を否定できないと思います。それに神仏に関係がある近代の大衆の宗教的な文化として、お正月とかお葬式とかを維持しています。無意識で日本人は様々なお祭りに参加しています。例えば、初詣の時に日本人の皆はお寺に神社にもお祈りに行ったり、お守りを買ったりします。いうまでもなく
けれども、基本的な問題はどのように宗教を定義するかによります。
歴史的にいうと「宗教」というのはキリスト教から影響をものすごく受けた分類です。事実、明治時代に「宗教」とは英語のReligionを日本語に翻訳したものです。つまり、宗教は現象ではなく、分類です。宗教は概念です。明治時代の前に「宗教」という言葉が全然ありませんでした。基にあたらしい言葉が作られたのこそ問題がありません。ただ、無意識に世界での宗教を理解しようとする学者はキリスト教を原型として使いました。結局欧米の文化に従っていた明治時代の日本人の学者は宗教という造語を作りました。そのために日本人は宗教的ではないと言うのです。日本ではキリスト教を反映する宗教はおかしいからです。この西洋の観念は信仰などを主張しています。一方、基本的に神道や仏教などは活用を主張しています。神仏の存在を信じるかどうか違いがありません。関係がありません。ですから、日本の「宗教」はキリスト教のような宗教的なものより、もっと文化であり、
共同体に参加したり、伝統を伝えたりするものではないでしょうか。
いずれにしても日本では神と仏の存在を信仰するかどうかは何の違いもありません。一方、西洋諸国では信じるかどうかが一番大切なことだと感じられるようです。日本では神様は存在があるないにかかわらず、宗教的な活動や習慣などが続いていると思います。ですから恐らく「あなたは宗教を信じるか」との質問は結局あまりよくない質問だろうと思います。むしろもっといい質問は「伝統的な活動に参加しているか。どうしてか。そういう伝統や習慣などを重んじる」というものではないでしょうか。
以上ですが、何かご質問、ご意見がありましたら、お願いいたします。
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